お知らせ
2023 / 07 / 10 22:22
武蔵国久良岐郡蒔田村(郷) … 其の四
吉良頼康から吉良氏朝の頃
蒔田を含む久良岐郡の直接の支配者は 代官を務めた間宮の一族であった
笹下城を拠点に氷取沢(ひとりざわ)と杉田に根を張って行くのだが 所属
は玉縄衆に属し蒔田湾を母港とした小田原北条水軍の一翼を担い 氷取沢
に腰を落ち着けし間宮の者共は 大岡川の水源と武具専門の鍛冶屋が多く
居住して居る事もあり(故に火取沢とも呼ばれて居た) 其の警護も兼ねて
の根張りなのであろう
一方杉田は大岡の南側 外海に面した海岸線は屏風の如く切り立った崖で
占められ唯一 杉田の浜のみが砂浜を有し船を繋ぎ留められる浜であった
其の頃は浜から凡そ500m先迄遠浅であり海鼠が良く捕れ 世が乱れて居
様が居まいが わざわざ上方から買い付けに出向いて来る程杉田の特産と
して価値ある商品であった故に 其此に移り住みしはやはり警護を兼ねた
根張りなのであろう
又 此の地は地質の関係からか野菜や穀物の栽培には不向きであった様で
ならばと 戦陣に何かと重宝な梅の植樹を奨励したのが始まりで現代に措
いても 杉田の梅林として名を残す事と成ったのである