お知らせ
40年前の7月30日 … 其の四
画像では解り難いと想われますが 雪面はスプーンカットと申し
全面スプーンで掬(すく)った様な模様で覆われ 然もカチカチに
凍り ツルツルに滑り 更に其の縁(ふち)は時には剃刀 時には
鋸の刃と化し私がスッ転ぶのを 今か今かと待ち設けて居るので
ございます
♠ : 画面左上の物は 回転競技用のポールと雪面に穴を空ける為
のドリルでございます
『 全長野中学校スキー連盟 』なる横段幕が雪渓左の登山路
に掲げられて居りましたので 中学生乍ら 凄い処で練習する
ものだなあと感じ入ったのを 憶えて居ります
40年前の7月30日 … 其の參
バディの○倉先輩の華麗なる滑りでございます
色褪せや振”(ぶ)れて居る様に見える惚”(ぼ)けは
腕の良し悪しでは無く …
腕の良し悪しでは無く …
何せ40年も前の写真ですので何卒御容赦の程を
40年前の7月30日 … 其の弐
雪渓はもう目と鼻の先故に 暫し休憩なのでございます
左のザックは バディの○倉先輩のザックでございます
私のザックは 右の赤いアタックザック容量70Lのチョモランマ
板はカザマのジェネシス ビンディングはマーカーのM40Racing
ストック(ポール)はグリップがコルク仕上げのホープ
ブーツはラングのスーパーワイヤー 何れも苦楽 …
楽々を共にした選友 選ばれし友なのでございます
因みに
カザマのジェネシスはトップに五つの穴が開いて居り 其此から
雪がジェットの様に噴き出し其の機能故 深雪に特化した板とも
言えるのですが(事実 腰迄埋まる深雪でも 潜水艦の緊急浮上の
如く 難無く雪面を突き破って出て来るのでございます)私には
どんな雪面でも無難にこなせる万能な板でございました
40年前の7月30日 …
40年前の7月30日
此の前年は留年の年 … 落とした科目は単位が一単位の保健体育
どうした事か 此の保健体育が必修科目である事を私は完忘して居
たのでございます 有り余る時間の使い途を迷う事無く 自分探し
なる耳に心地良い言葉を名分とし 日本一週自転車の旅に出たので
ございます 旅に出っ放しという訳には参りませんのでアルバイト
をし乍らお金が貯まり次第 画像の様な出で立ちで(自転車を漕ぐ時
は短パンでした)我が愛車ブリジストン社製ダイヤモンドを輪行し此
の地方と定めた処迄公共の交通機関で向かい 到着次第自転車を組
み立てて走り出し 山があれば登り 雪が残って居れば滑り 夜に
成れば野宿す 其の様な何とも自由気儘な旅をして居たのでござい
ます
40年前の7月30日の此の日は 日本三大雪渓の一つ長野県の白馬大
雪渓を一緒に滑ろうと 先輩の○倉さんと約束して居りましたので
先輩の愛車パジェロにて長野入りして居り 自転車で来ては居りま
せんが 画像は駐車場から猿倉へ向かう途中の一コマなのでござい
ます
♠輪行 : 当時は日本自転車協会の会員と成りますれば
折り畳んで専用の袋に入れた自転車を公共の
運行車両内に持ち運ぶ事が出来たのでございます
♠ ブリジストン社製ダイヤモンドは
後のアトランティスでございます
外出禁止 …
パナマ帽
近頃 頗(すこぶ)る体調が良い為 ほぼ毎日の様にお店に出向いて居たのですが
少々調子に乗り過ぎてしまった様で 熱中症の症状が表れ 二日ばかり寝込んで
居りました 体調が戻り さあ今日も散歩散歩と身支度を調えて居りましたら
「暫く外出禁止」と冷たい声が冷たい視線と共に私の背中に突き刺さったのでご
ざいます 折角日除け用にとパナマ帽を購入しましたのに … 残念です …
余談ですが …
パナマ帽はパナマ草から作られる帽子なのですが 其の起源はパナマ共和国では
無くエクアドル共和国なのでございます 本来は型作りなどせず「クラッシャブ
ル」と呼ばれる折り畳める程柔らかく作るもので 戦前(1935年の頃) 紙製では
あるが日本でもパナマ帽は作られて居り 日本産のパナマ帽は世界中に輸出され
て居たのでございます
余談ですが … 其の弐 … パナマ繋がりで
其の十年後(1945年) 太平洋戦争末期 大日本帝国海軍による
『 パナマ運河(ゲート)爆撃作戦 』成るミッションが 敢行され様として居た
のでございます 運河のゲートを破壊する事によりガトゥン湖の水を溢れさせる
計画だったのですが 地球の裏側の運河を破壊するなど 攻撃機の爆装を爆弾か
ら魚雷へと変更したが為に 攻撃機の開発が遅れ計画は未遂に終わってしまいま
したが 其の壮大な計画は果たして 如何なるものであったのであろうか …
大日本帝国海軍 伊四百型潜水空母四艦に 第六三一海軍航空隊特殊水上攻撃機
『青嵐』を三機ずつ搭載した世界初の 戦略潜水空母による奇襲作戦なのである
青嵐の爆装は 800㎏爆弾×1又は 250㎏爆弾×4又は 径45㎝魚雷×1本である
潜水空母が四艦ならば 青嵐隊は都合十二機 双フロート式のフロートを外せば
低高度での巴戦(格闘能力・ドッグファイト)は零戦並みであり 戦局に影響無く
とも実現して居れば 侮れぬ部隊であった事は間違い無いものと 想われるので
ございます