お知らせ
鍜治屋 … 其の五
「はあっはっはっはっはっ
御酒や切人の色香に酔うた訳でも
真菜に見惚れた訳でも無く
眠りが足りぬだけであったと」
「はい」
「はあっはっはっはっはっ
少しばかり張り切り過ぎたかな」
「はっ 城内の配置を頭に叩き込む可く
昼は見取りの図を片手に駆け回り
夜は夜で 忍び入りやすそうな場所を選
んでは忍び入り
深夜にも 龕灯を照らして屋根裏を這い
ずり 部屋に戻りましてからも絵図と睨めっ
こして居りましたは」
「ふっふっふっ 其方(そなた)の申して居っ
た通りの男だのう でっ 今は」
「はっ 再び切右衛門に背負われ自室で高
いびき 切人では添い寝を越えてしまい兼
ねませぬ故 真菜殿に御願い致し付き添う
て貰うて居りまする」
「真菜ならば間違いは無いと思うが
亀之助 其方(そなた)は間違(まちご)うて
欲しいのであろう」
「はっ 久方ぶりの再開に運命(さだめ)を感
じて欲しかったのですが
真菜殿が面を上げる前に寝落ちしてしまう
など思うても居らぬ事でございましたは」
「はっはっはっ 流石の策士 出刃亀之助で
あっても人の睡魔迄は読めぬ と言う事だな」
「何とでも言うて下され
人には休養が必要 そして其の人の上に立
つ者であるならば 其れを肝に命じて置かね
ば成らぬ
なのでござりましょうな」
「はっはっはっ
其れは儂や御館様に対する嫌みか」
「お受け取りは御自由でござる」
「言い居るのう」
「はっ 某(それがし)は
牛 刀乃助様の直弟子でござりま
すれば」
「ふっふっふっ まあ良い
で 切右衛門らは納得したのだな」
「はっ 十四郎を連れて参ってから
十日余り 其の間奴は毎夜忍び入っ
て居るのだと言うても誰も信じませぬ故」
「十四郎には告げずに控えさせたのか」
「はい」
「良くぞあの四人の気を探れたものよ」
「奴の場合 探ると申しますより感
じる 又は察する と申した方が腑
に落ちるかと」
「感じる 察する 成る程
眼に見えぬ者らの気を探らずとも
其処に居れば其の気に気付く
そう言う事か」
「はっ 奴が申すには人数も 其奴
らの力量もある程度は」
「判る と」
「はっ」
「ふむ 正しく 儂や御館様が望ん
で居った男よ
苦労を掛けたな 亀之助」
「苦労など」
「真か」
「はっ
実を申しますれば 御館様や刀乃助
様が申される様な男など此の世に居る
ものかと思うて居ったのは真でござる
成れど 運が良うございました
初めて会うた時は其れなりに出来る
男と想うては居りましたものの 正直
あそこ迄の腕とは 正に凄腕 其の言
葉がぴたりと合うた男でございました」
「初めて会うたのは 回船問屋の杉江
屋と言うて居ったな」
「はっ あの頃は富裕な商家の子があ
い次いで拐(かどわ)かしに遭うて居りま
した故
杉江屋は 此の横浜で一二を争う回
船問屋でござる 腕の立つ要慎(ようじん)
の者らを望んで居るのではと当たりを付
け 知り合いの口入れ屋の伝(つて)を頼り
に雇うて貰うたのでござる」
「其の様な回りくどい遣り方をせんでも
儂に一言言うてくれたならば容易いものを」
「郷に入れば郷に従えと申しまする
市中には市中の遣り方がござります故
其れに従うた迄でござる」
「お役を辞して迄か」
「某(それがし)の境遇に偽りが在っては
同輩の者らに信を置いては貰えぬと思い
ました故」
「成る程な 成れど亀之助
其れ程腕の立つ男を何故(なにゆえ)杉
江屋は手放したのか」
「杉江屋が手放したのでは無くあ奴が
十四郎自ら暇を乞うたのでござる」
「奴自ら 何故じゃ」
「杉江屋の一人娘 於奈江殿に惚れられ
婿入りを迫られたのでござる」
「なっ何と 杉江屋の婿入りを断ったの
だと」
「はっ」
「此れは又 おおうっ そうじゃ
昔 同じ様に横浜で一二を争う材木問屋
山口屋の婿入りを断った男が居たのう」
「 … … … 」
「あの折り諾して居れば 今頃は左団扇で
あったろうに
あの男 今何処で何をして居るのかのう」
「貴方様の目の前で 聞きたくも無い昔話
を聞いて居りまする」
「はあっはっはっはっ そうじゃったそう
じゃった あれは其方の事であったなあっ
はあっはっはっはっ」
「商家の婿など詰まらぬ 此のまま儂の下
に居れと言うたのは刀乃助様 貴方様でご
ざりまするぞ」
「はっはっはっ あの折りは真にそう思う
て居ったのだ 後悔して居るのか」
「いえ 後悔など微塵もござりませぬ
今の御役目は天職と思うて居ります故」
「天職のう ちと生々しいがの」
「 刀乃助様 」
「何じゃ」
「 奴等は 真に 」
「来るっ 奴等は必ず … … …
誰じゃっ 」
言うより早く 亀之助が庭へ飛び出
辺りを見回すも
「 誰も居りませぬ 」
「くっ 此れが我等の現実よ
気付いた時には既に遅し 」
「刀乃助様 御嘆きの前に御指示を」
「今宵の張りは二番組だな」
「はっ」
「 十四郎が特別なだけで 奴等に落
ち度が在るとは思えぬ と成れば 」
「 まっ 真逆(まさか)
既に間者が入り込んで居ると 」
「そうとしか思えぬ
亀之助 新規の者らを洗い直さねば
成らぬ 其れと 」
「此の時間 所在を明らかに出来ぬ者
の炙り出し 」
「うむ 今から頼む」
「はっ では此れにて」
亀之助は立ち上がり様踵を返し
廊下の闇へと消えた
つづく
のだ …