お知らせ
鎌倉:かまくら …
鎌倉には凡そ八年程住んで居りましたので 何かと思い出深い街でございます
其んな鎌倉の名の由来をば
鎌は 両禾(りょうか)を束ねて握り其れを刈り取る事を言い
両は 車輌又は数の二つを表わしますが元は車の両輪を言い
禾は 稲穂が垂れた姿 刈り入れ時の事
倉は 穀物を入れる廩倉(りんそう)の事
廩は 集める又は米倉の意
つまり鎌倉とは 刈り取った稲又は脱穀済みの米を倉に納める事を言うのである
… … …
米が穫れる所であれば 極当たり前の事だと思うのだが …
さて
名の由来は色々ございますので 先ずは 神武天皇と藤原鎌足のお話から簡単に
①毒で殺した死屍の山から … 其れは京都の京(けい)の事
②藤原鎌足が鎌を埋めたから … 名の通り鎌は足りて居りますので
③蒲が沢山生えて居たから … 其れは蒲田
④高座郡のたかくらから … 高床の倉の事で 廩倉とは形が違います
⑤比叡山にも鎌倉が … 其処は山の名 意味は同じかも
⑥三方が山で形はかまど 倉
の様に一方が開いて居るので … 倉には扉がございます
⑦アイヌ語で … アイヌ語で 何
カーマ·クラン 平板な石の山と
言う意味から 山を越して行く
と訳し カマクラン と成った … 惜しい (平板な石の山 … ?)
①について 京とは上部に小さな望楼を設けたアーチ状の門の事 此れを軍営や
都城の入口に建てた物を京観と言うが言わば凱旋門の事を言うので
ある 其の造りは積尸封土(せきしふうど · 討ち取った敵兵や処
刑した捕虜の屍を重ねて土で封ずる事)故に 軍社の起源とされ髑骨
台(ろうこつだい)又は髑髏堆(どくろたい)とも呼ばれて居たのである
②について 生まれた時 白い狐が現れ咥えて居た鎌(鎌槍)を足元に置いて去っ
たので名を鎌足と 其の後政(まつりごと)の高みに昇った鎌足は鹿
島神宮へ詣でた其の帰り由井郷に宿泊した際 夢の御告げで何時も
持ち歩いて居た鎌(鎌槍)を其の地に埋めたので鎌倉と呼ばれたのだ
と 其の話しが真であるならば 彼の地の何方かが彼の地の鉄で鍛
えた鎌槍を出産祝いとして贈った品であろう 其の後権力を手にし
た鎌足は御礼参りとして其の地に返したものと思われまする
鎌槍を埋める際 槍の柄 つまり木を外して埋めれば鎌槍は鎌倉と
成るのですが … 其の埋め場所は大倉の松ヶ岡とされて居ります
大倉は大藏の元の名 大藏幕府とも呼ばれた頼朝の御所を含む大倉
谷の谷合四ヶ村の広大な土地なのでございます 其の地に松ヶ岡と
言う地名は無いのですが 其の北西 東慶寺の山号が松岡山と言う
のでございます 此の時代東慶寺はまだ建立されて居りませんが其
れ故に 其の地は素直に松ヶ岡と解して宜しいのだと思われまする
つまり 大倉の松ヶ岡に埋めた のでは無く 六浦から通ずる道を
使い大倉から松ヶ岡に向かい其処に埋めた(現在の松ヶ岡文庫の辺り
でしょうか)と解した方が筋は通るのではと 察するのですが …
何故(なにゆえ)其の場所であるのか判りませぬが 鎌倉五山にも入
って居らぬ東慶寺が寺領では建長寺を抜き円覚寺に次ぐ二番目とは
此れ如何に 本山を持たぬ寺であり男子禁制の寺でもある やはり
何か 在るのやも知れませぬ
最後に 此の当時鎌足は藤原では無く中臣であり 足は何々たりの
たりの意 故に名は鎌の一文字で「れん」と申し
中臣 鎌「なかとみのれん」が真の名 なのでございます
③について 田には稲田とは別に 水に関わりが有る広い土地の意味がある
④について 元は高倉 役割も構造も違います
⑤について 其の山が鎌倉と同じ地質であるならば 同じ名は納得でございます
⑥について どの山からどう見れば かまど に見えるのでしょうか
⑦について アイヌ語でカマとは岩盤を意味し クラはオノマトペアに従えば
クラクラと不安定な事を意味する語なのである 事実 鎌倉の地は
凝灰質である砂岩や腐植土 軟弱な粘性土の地故軟弱な地の上に砂
岩が乗った処を想像して頂ければお解り頂けるものと思われまする
結論 鎌倉とは クラクラと軟弱な土地の上に崩れ易い岩盤が乗った地
なのですが 当時の鎌倉の特産は米と鉄 其の両輪をむんずと掴ん
で刈り取る(採る)様を表して居るのでございます