お知らせ

2021 / 05 / 20  10:52

由比ケ浜:ゆいがはま …

由比ケ浜 …

夏はもう直ぐ其処迄来て居りますので 夏の鎌倉とくれば由比ケ浜

今回は由比ケ浜の御説明をば 但し 現在使われて居る由比ケ浜の比の字は何故

か戦後から使われ出した字ですので 元々の井の字の由井ケ浜で筋読みさせて頂

き加えて ケ浜の二文字は省かせて頂きます では

由は 瓠(ひさご·瓢箪)の類いで

   瓠中(こちゅう)の実が熟して油化し 中が空虛(から)と成ったものの意

井は 井桁の形なのだが 井戸を意味せぬ場合は死者を収める棺を言うのである

つまり由井ケ浜とは 

   砂浜に拵えた井型の板屋の中に亡骸を置き 

   骨に成る迄待つ浜の事 なのでございます

   其の後に 御霊(みたま)を他の場所に移し 亡骸も墓所に埋め直すのはま

   た別のお話し

其の別のお話しとは

   僊人を乗せた鶴の事 向かう先は小高い岡 故に其の岡を鶴岡と言うので

   ございます 其の鶴岡は源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際小林郷へ地名ごと

   移されてしまいましたが元は由井郷に在り 今現在元八幡宮と呼ばれて居

   る所が其の場所なのでございます

別のお話し其のニ

   大阪府羽曳野市に壺井八幡宮と言う神社がございます

   源氏の棟梁 河内源氏の総氏神でございましたが 東国進出の拠点として

   鎌倉にも石清水八幡宮を勧進した先が其の鶴岡だったのでございます

   源頼朝が鎌倉に幕府を開いて後 河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鎌倉  

   に移される事と成り其の際 鶴岡も今の場所に移され鶴岡八幡宮と成った

   のでございます

   問題は壺井八幡宮の壺井 壺井の壺は瓢を原型として居りますので

   壺井は由井と同じ意味なのでございます

別のお話し其の参

   ゆい には 田植えや稲刈りなど互いの約束に基づいて共に事を行う共同

   作業の意がございますが其の字は結 結束の結の字なのでございます

   浜での作業は共同作業に間違いは無いのですが 田植えや稲刈りなど常民

   とは別の方々が其の作業を為されて居るのでございます

別のお話し其の四

   嘗ての頼朝の御所内より御成町へ移された問注所から由井ケ浜へ向かう道

   筋に裁許橋が架かって居り 訴訟の結果由井ケ浜で処刑される者達は其の

   橋を渡って浜に向かうのでございます 其の者達の供養の為に何時からか

   別れ道と成る二又に六地蔵が祀られて居るのでございます

別のお話し其の五

   溝出(みぞいだし) 江戸時代の奇譚集「絵本百物語」の中にある死霊講

   鎌倉幕府の末期 北条高時の御家人で戸根八郎という武士が居りましたが

   其の戸根の家来が死んだので 戸根は亡骸を櫃(ひつ)に入れて由井ケ浜か

   ら海に捨てたのだ其うでございます 暫くして櫃は浜に打ち上げられ其れ

   を聞き付けた極楽寺の僧らが中を調べた処 人の白骨が出て来たので寺で

   手厚く葬ったのだそうでございます 其の後 新田義貞が鎌倉へ攻め入っ

   た際 北条勢は其れを迎え撃つ可く由井ケ浜に陣を敷いたものの別の場所

   であるとの報せを受け直ちに其ちらに移動を開始するのですが 其の中に

   居た戸根八郎だけが何故だか付いて行けず 矢を射られて絶命した其うな

   のでございます 其して其の場所は奇しくも 家来を詰めた櫃を捨てた場

   所だったのでございます

   戸根は刀禰 其の名は船頭に由来し川や海に関わりが深く 家来との間に

   何があったのかは判りませぬが どの様な人間であれ亡骸を粗末に扱って

   は成らぬ事を十々承知の筈なのですが … とは申せ 此の戦では両軍合

   わせて相当数が亡くなって居りますので 此のお話し一つ以ってして奇譚 

   とか死霊講と言えるのかどうか 判別付かぬお話しなのでございます

別のお話し其の六

   リメンバー ネーミングライツ

   鎌倉市の愚策に対し 鳩サブレーで知られる豊島屋様の見事な御菓子

   元い 見事な御返し 鎌倉を愛する者として密かに感動の拍手を贈って

   居りました事 此処に記させて頂きます