お知らせ
毛抜型蕨手刀:けぬきがたわらびてとう …
昔 某家の蔵に在った御刀でございます
其の家の婆様が申しますには御刀の名は
蝦夷の鉄断ちの御刀 : えみしのかねだちのおかたな
と 元は後ニ振り在りそれぞれの名は
蝦夷の水断ちの御刀 : えみしのみずだちのおかたな
蝦夷の火断ちの御刀 : えみしのひだちのおかたな
なのだと
何故飾らずに蔵に仕舞って措くのかと問うたところ
我が家の家宝刀なのだが 元は御神刀と呼んで居り三振り揃って
此其の御神刀故 蔵に仕舞って居るのだと
鞘は夏鹿の毛皮で 反りの無い刃は巾広く角度の付いた柄は
毛抜きの様に中が抜けて居り 柄頭は蕨の如く渦が巻き何とも
見慣れぬ御刀に 暫しじっくり眺めて居たのでございます
婆様が申しますには
『 日本刀の始まりだんでい 』 と
『 おらの御先祖様 此いで阿弖流為(アテルイ)様と一緒に
坂上田村麻呂と戦ったおんでい 』 と
阿弖流為様と共に戦ったのかどうかは扠措き
『 日本刀の始まりだんでい 』は
ほぼ当たりなのですが 其の流れをば御紹介致します
初手は
蕨手刀 から始まり より斬撃に強く手首への衝撃は弱い
毛抜型蕨手刀 ヘ 其してより実戦向きに柄頭の蕨の飾りを廃し
毛抜形刀 ヘ 其の毛抜形刀を長大化させた物が
毛抜形太刀 と成り
日本刀 へと変遷を遂げて行くのでございます
婆様の御話しはまだ続き
『 鎌倉が攻めで来たどきだんば 当時の主様が三振り背負って
むがえうぢ てぎをばったばったと斬り斃したばって はぢ人斬
れば曲がるおんだどよ 三振り目ではぢ人斬ったあど 九人目さ
めがげで曲がったおがだな振り上げだ其のとぎだどや なしてだ
がわがらねけども鎌倉は鎌倉でも別の鎌倉が助けでくれだのだど
当時の主様 恩に感じだんだべな
みんなへで鎌倉さ行ったおんだどよ … 』
鎌倉に着いて 曲がった御刀を鎌倉の砂鉄で打ち直して頂いて後
色々有って 数百年の時を越えて婆様の嫁ぎ先の某家に戻って
来たのだ其うでございます 婆様も既に亡くなり蔵も無くなった
某家も人手に渡って居りますので もう御目に掛かる事も無いの
ですが 西條八十ふうにお伝えしますれば
「 婆様 あの御刀 どうしたでしょうね
ええ 夏 蔵から出して見せてもらったあの御刀ですよ 」
なのでございます
❂ みんなへで は 皆んな連れて の意でございます