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2022 / 06 / 08  07:30

独り言 … 其の弐

独り言 … 其の弐

邪馬台 卑弥呼 と来ますれば

“倭” を忘れては成りませぬ 

“倭” とは 何も古代日本に存在した民族 国の名だけでは無いのでございます

“倭” をも 蔑称と申す御方も居られますが

古代中国に於いて魯の第2代王宣公の名が “倭” なのである

「山海経」にては 蓋国は鉅燕の南“倭”の北に在り“倭”は燕に属す

「論衡」 にては 成王の時 越常雉を献じ“倭人”暢を貢す

「漢書」 にては 楽浪海中に“倭人”在り 分かれて百余國を為すと在り  

蓋国とは 現在の朝鮮半島の平壌の辺り

暢とは  鬯(チョウ:酒器の中に薬草を入れて香りを着けた匂い酒の事)

     の芳香を以て神を降ろし迎えるのである

楽浪とは 楽はでんでこ太鼓の事 でんでこ太鼓の如く 船の左右から激

     しい波を受ける海域の事

     分かれて百余國を為す と言うが国の概念が中国とは違い一国の

     規模は郡レベルである 此の書を読むのは“倭人”にあらず 故に解

     り易く国内向けに“国”と記したのである

     其して其の“国”の集合体が“倭国”なのである

“倭”とは 委(い) 稲魂(いなだま)を被って舞う女の形で其の低くしなやかな

     様を言うのである 其して人は其の舞い人に従うのである 

     因みに 禾(か)は禾形の被り物 穀霊であり其れを被って舞う形 

     男が被って舞う形を“年”と言い“年と委”とは男女の田舞いを言う

     のである

 邪馬臺国と邪馬“壹又は壱”国

     臺の説明は既にして居りますので “壹 壱“の御説明を致します

“壹 壱”(何れも:いつ)とは 

     どちらも台の略字は無く 其の意は

     壺中に在る物が発酵して中に満ちる状態を言うのである

       気の満ちる状態

       志壹ならば 則ち気を動かし

       気壹ならば 則ち志を動かす

       意志が気を配するもの

       衝動に拠って気が意志を決する事も在る意

詰まり  “壹 壱”は“暢 鬯”に通じ卑弥呼(巫女:シャーマン)を

     トランス状態に誘うものなのである

故に   邪馬○国の○は 臺 耜 壹 壱 でも其の意はほぼ

     通じて居るものと想われまする

要は   書き手が何を伝えたいのか 其の伝え方次第なので

     ござりましょう

 

では   邪馬台は何処なのか 其れは又 後程 …