お知らせ
独り言 … 其の弐
邪馬台 卑弥呼 と来ますれば
“倭” を忘れては成りませぬ
“倭” とは 何も古代日本に存在した民族 国の名だけでは無いのでございます
“倭” をも 蔑称と申す御方も居られますが
古代中国に於いて魯の第2代王宣公の名が “倭” なのである
「山海経」にては 蓋国は鉅燕の南“倭”の北に在り“倭”は燕に属す
「論衡」 にては 成王の時 越常雉を献じ“倭人”暢を貢す
「漢書」 にては 楽浪海中に“倭人”在り 分かれて百余國を為すと在り
蓋国とは 現在の朝鮮半島の平壌の辺り
暢とは 鬯(チョウ:酒器の中に薬草を入れて香りを着けた匂い酒の事)
の芳香を以て神を降ろし迎えるのである
楽浪とは 楽はでんでこ太鼓の事 でんでこ太鼓の如く 船の左右から激
しい波を受ける海域の事
分かれて百余國を為す と言うが国の概念が中国とは違い一国の
規模は郡レベルである 此の書を読むのは“倭人”にあらず 故に解
り易く国内向けに“国”と記したのである
其して其の“国”の集合体が“倭国”なのである
“倭”とは 委(い) 稲魂(いなだま)を被って舞う女の形で其の低くしなやかな
様を言うのである 其して人は其の舞い人に従うのである
因みに 禾(か)は禾形の被り物 穀霊であり其れを被って舞う形
男が被って舞う形を“年”と言い“年と委”とは男女の田舞いを言う
のである
邪馬臺国と邪馬“壹又は壱”国
臺の説明は既にして居りますので “壹 壱“の御説明を致します
“壹 壱”(何れも:いつ)とは
どちらも台の略字は無く 其の意は
壺中に在る物が発酵して中に満ちる状態を言うのである
気の満ちる状態
志壹ならば 則ち気を動かし
気壹ならば 則ち志を動かす
意志が気を配するもの
衝動に拠って気が意志を決する事も在る意
詰まり “壹 壱”は“暢 鬯”に通じ卑弥呼(巫女:シャーマン)を
トランス状態に誘うものなのである
故に 邪馬○国の○は 臺 耜 壹 壱 でも其の意はほぼ
通じて居るものと想われまする
要は 書き手が何を伝えたいのか 其の伝え方次第なので
ござりましょう
では 邪馬台は何処なのか 其れは又 後程 …