お知らせ
2022 / 08 / 11 12:11
夏人 … 其の後
杞の地に移された夏の王族の末裔は
杞国を建て其の地に根を張るのだが
小国にして武力も脆弱 故に王都を
何度も遷都せねばならぬ羽目と成る
列子の天瑞の項に
杞人天憂 又は杞人之憂と呼ばれる
物語りが在る 現在の我が国に措い
ては“杞憂”と略される物語りである
春秋時代杞の国に
「何時か天地が崩れ落ちるのではないか」と
憂いて夜も眠れず食事も喉を通らぬ男が居た
彼の事を心配した友人が
「天は空気だから落ちて来ない」と諌めたが
「太陽や月は何故落ちて来ぬ 大地は如何か」
続け様の問いに
「太陽や月は 空気が輝いて居るだけなのだ
大地は層が分厚いから 崩れはしない」と
熱心に諭した甲斐があり 杞の国の男は漸く
納得に至り 二人して喜びあったのだと伝う
亡国の憂き目に遭うた御先祖様の血肉の記憶
が其うさせたのであろうが其れは現実と成る
紀元前445年杞国は楚国に攻められ滅亡する
杞憂とは
心配する必要の無い事をあれこれ心配する事
と解されて居るものの 天地は崩れず太陽や
月も落ちては来なかったが 国は滅びたので
ある 因みに
楚文字は 別の呼び名で簡帛(かんはく)文字
又は簡牘(かんとく)文字と呼ぶのだが 杞国
の最後の君主の謚号が“簡”とは何とも 意味
有り気な呼び名である