お知らせ

2022 / 08 / 13  20:14

ふうじん(火篇に孚と人) …

紀元前1600年夏王朝最後の王 桀(けつ)の暴政圧政は止まる処を知らず

治世は目も当てられぬ程乱れに乱れ 此れに対し最早我慢が成らぬと神

より天命を授けられたとして商族の君主天乙(てんいつ)は 悪政を正すを

大義名分とし 賢人伊尹(いいん)の助けを借り満を持して蜂起し鳴条での

戦いで夏軍を破り凡そ300年続いた夏王朝を滅亡させ 諸侯の推挙により

王と成り殷に都城を定めたのである

賢人伊尹とは何者か

伊尹には 伊尹の母が大洪水に巻き込まれ桑の大木と化し 其の幹から

伊尹が生まれたとする伝説がある 

伊尹の生地は定かではないが 成人後は料理人として有辛(ゆうしん)氏

(有辛氏の辛は 真は草冠に辛なのですが 都合上辛とさせて頂きます)

に仕え 有辛氏の娘が商族の君主子履(しり・後の天乙)の元へ嫁ぐ際に

其の付き人として商族の首都 殷の宮殿に入宮する事に成ったのである

其此で子履に認められ商邑の政に携わる様に成り 次第に頭角を表して

重きを為し 商王朝の成立に多大な役割を果たし 阿衡(あこう・摂政・

関白)として王朝の基礎を固め湯王(とうおう・天乙)の死後は子の外丙

(がいへい)と中壬(ちゅうじん)の二人の王の補佐をしたと伝うのである

此の時代 料理人は“ふうじん”(火篇に孚と人)と呼ばれて居た様である

孚とは

子(男子・王子)を捕まえた 又は人質と言う意である 其の孚子が其の

国で生き抜く為には 其の国の王の信頼を得ねば成らず最も信を得た者

は 王が口にする料理作りを任される迄に成るのである

伊尹の伊とは 其の一文字で伊水(伊河)の事を指すのだが 尹とは手に

神杖を持った象(かたち)で聖職者の意なのである

詰まり尹尹とは 伊水の神を祭る聖職者の子であり洪水により家族と

離れ離れに成ってしまったのか 又は伊水の神を祭る聖職者の子と知

られ拐われてしまったのか はたまた戦に巻き込まれて親を失ってし

まったのか何れにせよ幼い頃に何かの理由で有辛氏の預りの身と成っ

た伊尹は 生き抜く可くひたすら料理の腕を磨いて居たのであろう

因みに ふうじん(火篇に孚と人・真はほじんと音する様である)の文字

は我が国に伝わる前に彼の地にて既に消えて居り 烹人(ほうじん)厨人

(ちゅうじん)と文字も呼び名も代わって行くのであるが …

文字を 言葉を消した者は何者か

我が国に措ける徳川家康の如く王子故に人質であり 其の時代を羞恥

と感じてし申たのか 権力の座に就いた其の男は事実を消す可く其の

文字も言葉も消してしまったのである

王子であり人質であり後に“ふうじん”の文字も言葉も消せる事の出来

る程力を有した者と言えば … 私の記憶に間違い無ければ

其の男の姓は贏(えい)諱(いみな)は政 贏政其の人と想われるのですが

如何でござりましょうや

 

◎追文 : 伊尹の伝説は北魏のれき道元の水経注の中にも見える

     (れきは麗におおざとへん:現在の河南南陽の県名)

     昔 辛氏(有辛氏か)の娘が伊川(いせん)のほとりで桑を

     摘んで居た処 空桑(葉の少なくなった桑)の内に嬰児が

     居るのを見つけ 養育して聖者を得たと云(つた)うもの

     である

     空桑とは 地名でもあり(現在の河南省陳留県の南)

     故に其の地が 伊尹の生地やも知れませぬ