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2024 / 02 / 26  10:22

倭文 … 其の弐

倭文 … 続き

倭(しずり) 続きでございます

▶ そもそも 

紀元前25000年頃には 針と糸によって布以外の素材で縫製された衣服は誕生し

て居り 織物による衣服は紀元前7000年には既に世に出て居るのである

日本に於いても凡そ3200年前 アサの繊維で編み込まれた模様のある布は出土し

て居り 縄文時代草創期に於けるアサの繊維と其の繊維が同定された場合 2008

年の時点で同種の記録は世界最古なのだ其うである

狭義に於いて縄文土器の縄目文様は 撚(よ)り糸を土器表面で転がして付けたも

ので糸 縄の存在を裏付けるものではあるものの 撚り糸は糸や縄で無くとも干

した魚の皮を細切りにした物等でも出来る物ではあるのだが …

殷王朝第10代王仲丁(ちゅうてい:在位紀元前1400年~1391年)の時 此の王

竹書記年によれば王朝に歯向かう藍夷を攻め 此れより凡そ300余年間藍夷を含

む諸夷は服属と叛乱を繰り返す事と成り其の一部は轂(こしき)の如く台湾を軸に

東南アジアの諸地域へ其して又 王朝に背いた他の諸部族は北の字が示す通り新

天地を求めて北へ 海を越えて我が列島へ更に此れより遡る事凡そ600年 中国

最古の王朝夏(か:紀元前2070年~1600年頃) 初代の禹(う)から末代の桀(けつ)迄

殷の湯王に滅ぼされる470年の間 彼らの生活の糧は粟・黍・麦・大豆・水稲の

五穀の栽培の他に 東の海に面した部族は裸潜水漁労で食を得て居たのである

“禹”とは本来蜥蜴(とかげ)や鰐・竜の姿を表したものであり故に 神話としての

“禹”の起源は黄河に潜む水神と云われ此の神話から“禹”及び“夏人”は南方系の海洋

民族で有るのは間違い無い事実であろう

“禹”の母の姓は“有しん(艹に辛:入れ墨に使用する植物染料の意)氏”であり同属に

有鬲(ゆうれき)氏  「鬲:五穀を釜で煎る意」

有仍(ゆうじょう)氏 「仍:弓弦を外した形 叛意無しの意」

有易(ゆうえき)氏  「易:変わるの意から蜥蜴(とかげ・カメレオン)とも」

有扈(ゆうこ)氏   「扈:従うの意」

と多いが 朝廷内で力を付け過ぎたのか準じ滅ぼされて逝くのである

此の有○氏の末裔が百越と呼ばれた越人であり 漁労や五穀の栽培方法を我が列

島に伝えたのも彼らなのである

当時の列島の倭人の身体には 三角の連続文様や鋸歯文(きょしもん)と呼ばれる

文様が彫られて居たのだが 無論此れらの文様は魔除けを意味するものであり其

の文様は鮫や鰐の歯を表して居るのである

揚子江鰐と呼ばれる鰐の体長は2m以下であり口吻も短く 人に対して然程の驚異

は感じぬものの嘗て 奄美大島・西表島・八丈島などでの発見例が実在する入り

江鰐は 最大で6m重量450kgにも及び存在其のものが如何に危険な生き物である

か 推さずとも其の大きさを見れば一目瞭然であろう

其して 百越と呼ばれた越人の中には倭人と称された部族も居り 列島の民族の

衣服の素材は苧(からむし)から採られた麻(アサ・苧麻)が主な素材であったのだが

百越の倭人が紡ぎ 織り成した布の素材が件の“梶の木”なのである

 

                               ◉続く