お知らせ

2021 / 05 / 19  14:14

鶴ヶ峰:つるがみね …

鶴ヶ峰:つるがみね …

鶴の“つる”は水流を表し故に “川の流れる所にある山” と …

其れが“鶴ヶ峰” と … 

其んな馬鹿な 

其れを当て嵌めるならば 日本全国“鶴ヶ峰”だらけと成ってしまうではないか

同じ“つる”でも真は蔓“つる”の事を言うのである

元は曼“まん”(めうつくし·ゆたか·ひろい)の意 恐らく胡の婦人と想われるが面衣

(めんごろも·ベール)を引いた時に目が現れる一連の動作を表し 其の目は長く豊

かで美しい様を伝えて居るのである 水流の“つる”は蔓の如く横に長く伸びくね

りと曲がる姿を伝えて居るのであろう 故に鶴ヶ峰と水流との関わりは無く 低

くとも “横に長く伸びた緑豊かな美しい峰” が本筋なのである

鶴は僊人を乗せて高みに昇るもの 吾妻鏡の中に鶴嶺の文字が在るのも其の時代

其の場所であらぬ謀叛の疑いを懸けられ乍ら 一言の弁明もせず百倍の敵を相手

に無鎧で迎え撃った畠山一族は果敢に刀槍を振るうも一人又一人と討たれ 奮戦

虚しく二俣の露と消えたのである 一族の怨念無念少しなりとも晴らす可く編纂

者は 鶴の字を宛てたのでござりましょう

2021 / 05 / 19  10:38

帷子川:かたびらがわ …

帷子川:かたびらがわ …

長い と御指摘がございましたので 成る可く手短に …

片方が山でもう片方が田畑故 片平“かたひら”の意なのだと 其れが訛化して

“かたびら”と呼ばれる様に成ったのだと 俗に言われて居りますが 其の呼び名

と見た目に変わりは無いものの 真は山の方が“ひら”であり“びら又はぴら”なので

ございます

帷は垂らした幕の事 子は処を意味しますので帷子川とは此れ迄通り 急峻な崖

又は山と田畑に挟まれた処を流れて居る川の事 なのですが 

繰り返し申し上げます “ひら·びら·ぴら” は急峻な崖又は山の事を意味する語 

なのでございます

 

 

2021 / 05 / 18  17:25

保土ケ谷:ほどがや …

保土ケ谷:ほどがや …

長年 保土ケ谷(ほどがや)は榛谷(はんがや)が訛化したものと思って居りましたが

改めねば成りません

ほど·ほと には二又の意味もございますが本来女性器を意味し女陰の字を宛てる

事が多く 転じて其の様に窪み湿地な場所を言うのでございます 

アイヌ語にても沼沢地等を女性器になぞらえて居るのと同じ また ケは物を数

える意である个(か·こ)の事 つまり “ほどがや”とは 独立し湿り気を帯びた凹

地の事を言うのでございます

余談ながら榛谷とは 桓武平氏良文の流れで坂東八平氏の一氏 秩父氏の一族

小山田有重の四男 重朝に支配を任せた榛谷御厨(保土ケ谷·旭区·都筑区一帯)の事

其れに倣い 重朝は榛谷を名乗るのですが 従兄弟に当たる畠山重忠一族謀殺に

加担した咎を受け鎌倉の経師谷で子の重季 秀重らと共に三浦義村に討たれ榛谷

氏は滅亡するのでございます

榛谷重朝の本拠地は二俣川なのですが二俣川は畠山重忠一族終焉の地 誘い込み

待ち設けるには最も適した地だったのでございましょう

因みに 榛とは“はんの木”の事 低地の湿地や低山の川沿いに生え為に柳と同様

治山や堤の植栽木として計画的に植えられ 稲の稲架掛(はさが)け用や木炭とし

ても良質であるばかりか 軟質でもある為家具や雑器具にも使用され 樹皮や

果実は褐色の染料にも成り 抗菌·消臭·造血と漢方薬にも成る万能な木種なので

ございます

 

 

2021 / 05 / 16  10:30

鶴巻:つるまき …

鶴巻:つるまき …

井土ヶ谷には鶴巻の交差点に鶴巻市場其れに鶴巻橋と 鶴巻と言う文字が幾つか

見受けられますが元の呼び名は弦巻と書くのでございます

武蔵吉良家第七代当主吉良頼康の父成髙が 自領の世田谷に加え新たに手に入れ

た蒔田の地に作り上げた武具造りの一大拠点が此の弦巻 (現 井土ヶ谷下町・上

町の一部) なのでございます

弦巻と言う地名は世田谷にもございますが より効率良くより多量に生産可能な

此の地を 敢えて選んだのでございます

作り上げた武具は蒔田湾から船にて 成髙の盟友扇谷上杉の家宰太田道灌の居館

の在る品川湊 又は江戸城近くの船着き場迄運んで居たのでございます

文を愛し戦では敗けを知らぬ成髙ではあったが頼康の代には 足利御一家衆であ

る吉良家と姻戚関係を結ぶ事により 他の武士団に対して其の御身内である事を

誇示し 自家の家格を高める可く強勢著しい小田原北条家に半ば強引に姻戚を結

ばれ 都合良く利用されて居る其の憂さ晴らしか 頼康は十三人もの側妻を抱え

其の中の一人常磐姫のみが寵愛を一身に受けた事で 他の側妻の妬みを買い妬む

側妻らによる常磐姫不義密通の讒言を信じた頼康は 即日其の相手と告げられた

家臣を斬り 身の危険を感じた常磐姫は世田谷の城を抜け出たものの身重の身体

では逃げ切れぬと観念したのか 倒れ込んだ場所で相果てたのでございます

なれど 家臣との不義密通が偽りと判った頼康は怒りの余り 十二人の側妻を即

刻処刑してしまったのでございます 

常磐姫を含め十三人の側妻は皆頼康の家臣又は其れに準ずる者達の娘でございま

す 以来 其の者らの頼康に対する忠誠は不誠へと変わり城内は不穏な空気に包

まれ 頼康の身を案じた小田原北条家は直ぐ様頼康を蒔田に呼び寄せたものの

蒔田に於いても其の空気収まらず 仕方無く鎌倉の玉縄城に御預けとしたのでご

ざいます

蒔田の弦巻を鶴巻に変えたのは 玉縄城に移される前だと察するのですが では

何故鶴なのか 古くは僊人(せんじん)の乗るものとされた鶴ですが 其の僊人の

僊とは死者を他に僊(うつ)す事 死者を板で囲って風化を待ち改めて葬る複葬の

事を言い 其の僊(うつ)された人を僊人と言うのでございます 

頼康は出来得る事ならば 常磐姫の御遺体を蒔田湾の砂浜に拵えた板屋にて一度

骨にして後 蒔田城に隣接する吉良家の菩提寺勝國寺に改めて葬りたかったので

あろうが 其れも叶わぬと思い知った頼康は己を戒める可く 未来永劫其の名が

残ります様にと同じ音を発する弦の代わりに鶴の字を当て 其の地の名を鶴巻と

書き換えたのでございます

 

2021 / 05 / 15  10:45

ふうじん …

ふうじん …

流石より“ふうじん”が先では との御指摘がございましたので

暫し御付き合いの程を

真は “ほじん” と音するのですが当たりの良いであろう “ふうじん” と呼んで

居ります さて其の意味は 簡単に申しますれば料理人と言う意味で 字の旁を

見て頂きますれば 手が子の頭を押さえて捕らえて居る形なのでございます

軍獲 戦いに敗れた側の子が俘虜として捕らえられた事を意味し 其して其の子

らが生き抜く為には王の信用を得ねばならず 信用を得た者だけが王の食事作り

を命じられるのです 故に偏は火偏と成るのですが日本に伝わる前に彼の地で既

に消滅させられた字 なのでございます

実在の人物では殷(商)の時代 阿衡(あごう・摂政)の職を務めた伊尹(いいん)と云

う者が居ります

王の機嫌を損ねては簡単に首を刎ねられてしまう時代 一期一会など足元にも及

ばぬ其の緊張感 当時の”ほじん”の方々に敬意を表し“当店の名を ふうじん” と

名乗らせて居るのでございます

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