お知らせ

2022 / 08 / 13  02:24

杞の地 …

夏王朝の遺族や遺臣 領民も居たであろうが

其の地は端から杞と言う名の地では無かった

のではなかろうか 夏人が移り住む事と成り 

故に杞の名が付けられた 何故(なにゆえ)か

とは センダン科の落葉高木であるものの

ヤナギ科の落葉低木でもあり 中でも特に

川柳(かわやなぎ)  : 川辺に自生する柳の一種

行李柳(こうりやなぎ): 水辺に植栽される事の多い柳の一種

の事を言うのである 

何れも現在では栗石粗朶工(くりいしそだこう)と呼ばれる

河川の流れが比較的緩やかで且つ波の影響の少ない箇所の

法面(のりめん)に措いて 土砂の流出による崩壊を防止し

法面の保護を目的とした工法に仕様される材なのである

又 行李柳に措いては長さ2mから10m程の柳蛇籠と呼ば

れる籠を編んだ中へ石や砂利を詰め込み埋め置く工法の

事を言い此れらの工法は正に禹(う)の父鯀(こん)が挑んだ

湮(いん)と呼ばれた工法の事を言うのである

鯀は 9年の歳月を掛けても上手く行かなかったのだが

禹は 鯀の9年を4年も上回る13年もの歳月を掛けて成し

得たものの其の陰には父鯀が挑んだ“湮”の工法が下地に

在ったから此其であろう

何れにせよ 杞の地も黄河が流れる地であり為に護岸の

修理修築は継続して居たであろうし其れを得手とす夏人

にとり 誰が名付けたのかは判らぬ迄も“杞”と言う名は 

彼らが住み処とする地の名に 相応しい名なのだと想う

次第なのでございます

本日も 雨が降り続いて居ります

我が故郷の秋田にても 土砂崩れや川の氾濫が多発して

居るとの事 現代の鯀や禹の登場を待ちわびて居るのは 

私だけではないと 想う今日此の頃なのでございます

 

 

 

2022 / 08 / 12  12:09

夏祭り …

我が国に措いては

御先祖様の御霊の供養が主であるが五穀豊穣を願う祭りも少なくはない

其の始まりはやはり夏王朝の始まり と宣っても過言ではないであろう

夏王朝の始祖と成る禹(う)は 紀元前1920年に起こった大洪水の治水に

失敗した父鯀(こん)の後を継ぎ 黄河の治水に当たり首尾良く成功を納

め 其の功績を諸侯に認められ帝位に就き陽城(現:登封市)に都を定めた

◉ 父の鯀は堤防を築き上げた上で

 「湮」イン:(しずむ ふさぐ)

  と呼ばれる高地の土砂にて低地を埋める技法を用いたのだが

  9年経っても成果を上げる事が出来ずに居たのである 

  其れに対し子の禹は 放水路を分けて排水を行う

 「導」ドゥ:(みちびく)

 「疏」ショ:(とおす)

  と呼ばれる技法を用いて黄河の治水に成功したのである

夏の字の元と成った大きな目を持つ男の頭上に祝詞を納めた箱を乗せて

跪く象は其の時の姿其のままなのであろうが 治水の成否は人々の命に

直結するものであり此の儀式 儀礼は治水の成功を願い其れに拠る豊穣

を望み更に水に呑まれて逝った者達の御霊を弔う意も含めての行いなの

である

楚文字の仮面を着けた象は祝詞を納めた箱の派生であり 鎧を身に付け

た象は時は春秋・戦国時代なのである 勝利を願う戦勝祈願の象なので

あろう

我が国に措いても祭りの屋台にてお面を販売して居るのは其の名残なの

である

2022 / 08 / 11  12:11

夏人 … 其の後

杞の地に移された夏の王族の末裔は 

杞国を建て其の地に根を張るのだが

小国にして武力も脆弱 故に王都を

何度も遷都せねばならぬ羽目と成る

列子の天瑞の項に 

杞人天憂 又は杞人之憂と呼ばれる

物語りが在る 現在の我が国に措い

ては“杞憂”と略される物語りである

春秋時代杞の国に

「何時か天地が崩れ落ちるのではないか」と

憂いて夜も眠れず食事も喉を通らぬ男が居た

彼の事を心配した友人が

「天は空気だから落ちて来ない」と諌めたが

「太陽や月は何故落ちて来ぬ 大地は如何か」

続け様の問いに

「太陽や月は 空気が輝いて居るだけなのだ

 大地は層が分厚いから 崩れはしない」と

熱心に諭した甲斐があり 杞の国の男は漸く

納得に至り 二人して喜びあったのだと伝う

亡国の憂き目に遭うた御先祖様の血肉の記憶

が其うさせたのであろうが其れは現実と成る

紀元前445年杞国は楚国に攻められ滅亡する

杞憂とは 

心配する必要の無い事をあれこれ心配する事 

と解されて居るものの 天地は崩れず太陽や

月も落ちては来なかったが 国は滅びたので

ある 因みに

楚文字は 別の呼び名で簡帛(かんはく)文字

又は簡牘(かんとく)文字と呼ぶのだが 杞国

の最後の君主の謚号が“簡”とは何とも 意味

有り気な呼び名である

 

 

 

 

 

2022 / 08 / 11  10:41

夏 …

とは元来季節を表す語では無い

大きな面を付けて踊る姿 又は

大きな鎧を身に付けた姿 等と

解されて居る様なのだが 真は

大きな目を持つ男の頭上に祝詞

を納めた箱を乗せ跪いて居る姿

なのである

時は 

紀元前1900年頃 ~

       紀元前1600年頃

中国最古の王国 夏王朝の時代

治水 黄河が暴れ出さぬ様願う

儀礼 の姿を象ったのであろう

夏王朝桀の代に殷王朝(商)に滅

ぼされ遺族は杞の地に移された

大きな面を付けて踊る姿 又は

大きな鎧を身に付けた姿 等と

解されて居るのは 戦国時代に

表された楚文字の象の故である

其の儀式は春と秋の間に行なう

為 夏王朝又は夏人にあやかり

其の時季を“夏”としたのである

 

 

2022 / 08 / 10  21:21

今年の夏は … 其の参

常夏の ならぬ …

床夏の 我が家 …

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