お知らせ
独り言 … 其の参
阿倍比羅夫 海女将軍説
あべのひらふ : 7世紀中期 飛鳥時代の公家であり将軍である
斎明天皇4年(658年)
比羅夫は 此の年から3年掛けて日本海沿岸側を北上し齶田(あぎ
た:現秋田)渟代(ぬしろ:現能代)の蝦夷を服属させ渡島(おしま:現北
海道)に渡り 粛慎(みしはせ:しゅくしん)と戦い粛慎の本拠地迄乗
り込み能登の蝦夷 能登馬身龍(のとのまみたつ)を失うものの此
れを破った
天智天皇元年(662年)
百済救援の為朝鮮半島に渡り対新羅 唐連合軍の後詰めの将軍と
して兵站の任務を担うものの戦は敗れた(白村江の戦い)
天智天皇3年(664年)
新羅 唐の来襲に備える為 経験豊かな比羅夫は大錦上に叙せら
れ続いて九州地方の防衛責任者として 筑紫大軍師に任ぜられる
のである
生没年は判らぬが見事な経歴である (蝦夷や粛慎には堪ったものでは無かろう
が) 今回の独り言は此の見事な経歴を持つ阿倍比羅夫が 実は女性では無かろう
かと 以前から疑問を持って居たからなのでございます
何故(なにゆえ)か 此の比羅夫と言う名を直訳しますれば 鳥猟を投網で競う男
と成るものの“ひらふ”には“比良夫”の文字も在り 古(いにしえ)には此の比良夫
比良夫貝の事を指し 比良夫貝とは今で言う平貝の事なのである
平貝(たいらがい又はたいらぎ)とは 二枚貝の一種で房総半島以南の内湾の砂泥
底に生息する大型の二枚貝であり 殻の表面が平故 此の名が付いたとの見方が
強うございますが 其れは違うのである
此の平貝なる貝 砂泥底にては尖った方を(殻頂)を下にし足の付近から緑褐色で
長さ10-20cm程の絹糸の様な沢山な足糸で以て 砂や砂利を付着させ其の身殻を
固定するのでございます
其の姿は正しく断崖絶壁 故に烏帽子貝 柱貝 立ち貝 立て貝と申す別名も在
るのですが 平が何故崖なのか
以前にも書いたと思うのですが
“ひら又はぴら”とはアイヌ語では崖を意味し 公家の几帳や調度で屏障具(へいし
ょうぐ : 二本のT字型の柱に薄絹を下げた間仕切りや目隠しの一種)の様に 掛
けた布が断崖絶壁の如く垂直に垂れ下がる様を言うのである
比良夫貝と申さば 猿田彦の名を忘れては行けませぬ
此の男 日本神話に登場し天孫降臨の場面にて大事な役割を果たすものの 此の
男の最期は余りにも呆気ないのでございます
伊勢ケ浜での漁の最中に 比良夫貝に腕を挟まれたまま溺れ死ぬのである
現代にても隠語にて女性を貝に例える事もまま在れど 其の逸話が元と成り兵庫
・岡山・香川・山口・佐賀・大分では“ずべ”と言う言葉が平貝の共通語なのです
が此の言葉 言葉は悪いが“ずべ公”に通じ女性を示す言葉なのでございます
“ずべ”は“ずぼら”が転化した言葉であり「だらしがない」の意味だ其うですが寧ろ
溺れ死にさせられたと言うのであれば其れは殺人であり解死人(げしにん 犯人)
は狙った獲物は逃がさぬ 正確無比にして“ずぼら”とは正反対の冷酷な暗殺者で
あり潜水能力に長けた“海女” と言う事に成るのでございます
因みに“ずぼら”の対義語は“几帳面”であり やはり“ひら”に行き着くのである
女性を示す名故に比羅夫が女であったとは限らぬ事なれど 嘗てはアマゾーン海
と呼ばれて居た黒海沿岸に住むアマゾーン族の女王ヒッポリュテーの如く 敵船
に乗る兵を投網を絡めて海へ落とし込み 海中に潜ませて居る数多な海女達を巧
みに操り 落ちた敵兵を溺れ死にに追い込む海戦(うみいくさ)に優れた海女族の
長(おさ)だったのやも知れず 阿倍の名を直訳しますれば
阿とは 神梯(神霊の陞降する梯)の前で神に向かって祝禱を行う意
倍とは 旁(つくり)の“はい”には草木が熟して剖(さ)ける意が在り 物を二つに
剖(さ)く事 倍にして返す事を言うのであるが 同時に叛く意も在り
故に阿倍とは
神に向かって多くの祝禱を行う
又は
神に向かって偽りの祝禱を行う
平と垂直と同様 相反する意が在り
“ひらふ”と 女性を示す音をさせ乍ら
“比羅夫”と 男性を示す意を持たせて
其の実は やはり女性 なのでは と 想う次第なのでございます
独り言 … 其の弐
邪馬台 卑弥呼 と来ますれば
“倭” を忘れては成りませぬ
“倭” とは 何も古代日本に存在した民族 国の名だけでは無いのでございます
“倭” をも 蔑称と申す御方も居られますが
古代中国に於いて魯の第2代王宣公の名が “倭” なのである
「山海経」にては 蓋国は鉅燕の南“倭”の北に在り“倭”は燕に属す
「論衡」 にては 成王の時 越常雉を献じ“倭人”暢を貢す
「漢書」 にては 楽浪海中に“倭人”在り 分かれて百余國を為すと在り
蓋国とは 現在の朝鮮半島の平壌の辺り
暢とは 鬯(チョウ:酒器の中に薬草を入れて香りを着けた匂い酒の事)
の芳香を以て神を降ろし迎えるのである
楽浪とは 楽はでんでこ太鼓の事 でんでこ太鼓の如く 船の左右から激
しい波を受ける海域の事
分かれて百余國を為す と言うが国の概念が中国とは違い一国の
規模は郡レベルである 此の書を読むのは“倭人”にあらず 故に解
り易く国内向けに“国”と記したのである
其して其の“国”の集合体が“倭国”なのである
“倭”とは 委(い) 稲魂(いなだま)を被って舞う女の形で其の低くしなやかな
様を言うのである 其して人は其の舞い人に従うのである
因みに 禾(か)は禾形の被り物 穀霊であり其れを被って舞う形
男が被って舞う形を“年”と言い“年と委”とは男女の田舞いを言う
のである
邪馬臺国と邪馬“壹又は壱”国
臺の説明は既にして居りますので “壹 壱“の御説明を致します
“壹 壱”(何れも:いつ)とは
どちらも台の略字は無く 其の意は
壺中に在る物が発酵して中に満ちる状態を言うのである
気の満ちる状態
志壹ならば 則ち気を動かし
気壹ならば 則ち志を動かす
意志が気を配するもの
衝動に拠って気が意志を決する事も在る意
詰まり “壹 壱”は“暢 鬯”に通じ卑弥呼(巫女:シャーマン)を
トランス状態に誘うものなのである
故に 邪馬○国の○は 臺 耜 壹 壱 でも其の意はほぼ
通じて居るものと想われまする
要は 書き手が何を伝えたいのか 其の伝え方次第なので
ござりましょう
では 邪馬台は何処なのか 其れは又 後程 …
独り言 …
先月の事
某大学名誉教授の
『 邪馬台国 卑弥呼の呼称と国号日本との関係 』
と題しての講演後
某党 某議員の御発言
「 邪(よこしま) 卑(いやしい)は 当時の中国が周辺国を文明が劣ったものと
して 蔑称の意味で其れらの文字を当てたのが良く分かりました
今後 どうすべきか考えます 」 との事 …
そもそも 其の壱
古代中国に於いて 中華(漢民族側から視て)の四方に居住する異民族に対しての
蔑称は 四夷又は夷狄(東夷・北狄・西夷 後に西戎・南蛮)であり わざわざ
「 卑しい者が治める邪な国 」
などと想っては居ても記す筈も無い文言なのでございます
そもそも 其の弐
其の中国でさへ 歴史上多くの夷狄が前王朝を滅亡させては建てるを繰り返し
稲作・仏教・鉄器・鐙(あぶみ)・呉服や胡服など様々な四夷文化が持ち込まれ
宗教的価値観も含めて 実際には中華文明其のものが多くの面で非中華(夷狄)の
影響を受けて居るのでございます
そもそも 其の参
蘇我馬子(うまこ) 蘇我蝦夷(えみし) 蘇我入鹿(いるか)の親子三代などは其の死
後 名を動物や北の蛮族と賤しめられた蝦夷の名を付けられたのだと 申される
御方も居られますが 三世紀に輸入され始めた馬は此の頃にはもはや必要不可欠
無くては成らぬ生き物で在り “えみし”にしましても
小野毛人(おののえみし) 佐伯今毛人(さえきのいまえみし) 鴨蝦夷(かものえみ
し)など 毛人も蝦夷も同じ“えみし”と音し 当時の高級官僚らは率先して其の名
を名乗って居るのでございます
入鹿の名にしましても
鯨に熊 兎に猿など動物の名を付ける者は多く居り 蘇我蝦夷の又の名
豊浦大臣(とゆらのおおおみ) 蘇我豊浦毛人(そがのとゆらのえみし)の豊浦から
何故其の名が付けられたのか 察せられるのでございます
そもそも 其の四
以前にも取り上げたと思うのですが
邪馬台国の“邪”とは
呪術を用いる者が身に着ける衣服の事であり
邪馬台国の“馬”とは
当時としてはとても希少な存在であり “邪を身に着けて居た者” を葬る際の生
け贄なのである
邪馬台国の“台”とは
実は此の台の字 耜(すき)と臺(だい・たい) 別々の略字なのでございます
耜の台とは 耜を清める儀礼を示す字 耜に祝禱を加えて祓う意の字
臺の台とは 中国の中山王墓の如く地下に槨室(かくしつ)の在る 陵上に高堂を
築いた形 廟所を言うのである
詰まり 邪馬台国とは 国の名では無く
呪術者の“卑弥呼”が明るい天の下 耜に祝禱を加えて祓い清める儀
礼を行う場所
或いは 呪術者の“卑弥呼”が明るい天の下 中山王墓の如く馬を生け贄とし
た王墓の陵上に築いた高堂の中で先祖の霊を弔う又は 数多な祝詞
を捧げる場なのである
◉ 造営する際は 耜に祝禱を加えて祓い清める事であろう
続いて
卑弥呼の“卑”とは
汲んだ酒を振る舞う等 事を執る者を言うのである
卑弥呼の“弥”とは
美しい分身(入れ墨)を施した髪の豊な女性が 呪具とした弓を魂振り
の儀礼に用いて居る形なのである
卑弥呼の“呼”とは
柄付きの板の上に遊舌を結び 柄を振って音を鳴らして神を呼ぶ鳴子
板の形なのである
詰まり
卑弥呼とは
美しい分身を施した髪の豊な女性が 神前に御神酒(おみき)を供え板
を鳴らして神を呼び 弓を用いて魂振りの儀礼を行う者の事を言うの
である
故に 某党の某議員様
「 今後 どうすべきか 」など
考えなくとも良い事なのでございます
「 今 考える可きは未来 」と
思うのは 私だけでは無い と想われまする
昨夜の一皿 … 其の四
黒毛和牛のサイコロステーキ
茄子とメイクィーンのフライ添え銀餡仕立て
でございます
間違い無く 黒毛和牛なのですが …
一部硬い部分が在り 手直し若しくは
調理方の見直しを致そうかと 思って居ります
昨夜の一皿 … 其の参
Dr.K様御釣果の
コブ鯛のムニエル新玉葱とズッキーニのソテー添え
でございます
やはり
焼き上げた皮目は 御披露した方が宜しいかと思い
具材は
ステージの如く下に 敷き詰めた次第でございます
Missコブ嬢のショーの始まりでございます
御堪能下さりませ