お知らせ
倭文 … 其の参
倭文(しずり) 続き
▶ 梶の木の梶とは 我が列島に於いては梶棒を意味し故に舵を取る 舵を切る
に通じ舵を取るは 目的へと定めた方向ヘ船を進める事を言い舵を切るは 方針
を大きく変え別の道を選ぶ可く進路を変更する事を意味するのである
裸のまま海辺で暮らして居た我が列島の御先祖様達は 南から海を渡って来た同
じ漁労を営む者達により魔除けの為の鳴門の海の様な渦巻き文様や 連続する三
角文様 鋸歯文様等の入れ墨を教わり麻で織り成す衣服が伝わっても其れは変わ
らず魏志倭人伝には男子皆黥面文身とあり黥面とは顔に 文身とは身体に入れ墨
を施す事であり同書には水に潜って漁をする時の呪(まじな)いとして入れて居た
ものが次第に装いに転じ 地域や階級によって入れ墨が異なるとも書かれて居る
のである
また 紀元前2500年頃に台湾から南下を開始した一部の部族は フィリピンを経
て紀元前2000年頃にインドネシアの“スラウエシ島”やニューギニア島のメラネシ
アに到達し 此処でオーストラロイドのパプア先住民と混血しラピタ人の始祖と
なり 紀元前1600年頃ラピタ文化と呼ばれるラピタ土器を残し其の多くは歯形の
文様が付けられ此れらは樹皮布や入れ墨等にも用いられて居たのである
ラピタとは穴を掘る事又は穴を掘った場所を意味するものの様ですが 古墳時代
の人骨から抽出されたDNA ゲノムからは現代の日本人とほぼ同じ割合で縄文人や
弥生人には含まれていない東南アジア系のゲノムが含まれて居る事が解って居り
此の事は現代の日本人が縄文人と弥生時代の渡来人(北東アジア系)との混血であ
る事に加え 古墳時代に大規模な渡来人(東南アジア系)との混血が起きて居た事
が推察されるのであり 数多な古墳が造営され続けた理由も納得出来る事実の一
つでは有るまいか
其の古墳時代 梶の木は栲樹(たくのき)と呼ばれ木皮から木綿を作って居り栲樹
が豊富だった豊国(大分県の柚冨ゆふ)現代の由布市は此れに由来するものである
また 梶の木は古くはコウゾ・カゾとも呼ばれ其の木皮の繊維を蒸して水に晒し
細かく割いて作った糸を木綿と書くのだが 此の場合は“ユウ”と音し同じ字の“ワ
タ”の繊維の木綿(モメン)とは別なのである
因みに 日本神話の最初に登場する綿津見(ワタツミ)なる神が居られるが“ワタ”
は海の古語 “ツ”は「の」を表す上代語の格助詞 “ミ”は神霊の意であるので
「ワタツミ」は「海の神霊」と言う事に成る 其うなのだが
此処は素直に「海を渡った」と観るのが妥当では無かろうかと想うのでございま
す 何故(なにゆえ)か 台湾を経由して渡来した越人の中に台湾の先住民が混じ
って居るのは間違い無く 渡るの意は海を渡る事を言い辺とは本来旧字体の邊が
示す通り鼻を上に向けて髑髏(どくろ)棚に並べられた生首の事であり 彼らは我
が列島に入れ墨の習俗の他に首狩りの習俗をも伝えたのであり現在渡辺を名のる
方々が其の末裔なのである
長々と 余計な事迄書き連ねて参りましたが
結論を申しますれば 我が列島に於いて衣服の始源はやはり麻であり梶の木は二
番目と成るのでございます
『我が故郷 鹿角の地で産して居た狭布の細布(けうのせばぬの)成る織物も其の
の辺りが織り初めやと想うのですが …』
私に取っての最大の疑問は何故(なにゆえ)“倭文”を「しずり」と音するのか なの
ですが
何はともあれ 公開が今から楽しみな映画なのでございます
トラウマの土曜日 …
昨年の三月九日は私が市大病院に運ばれた日
正確には お向かいの○田さんに運んで頂いたのですが
其の九日の日から八月三十一日迄 凡そ半年もの間お店
を休んでしまうなど 想っても居らぬ事でございました
あれから早一年 曲がりなりにもお店を続けられて居る
のは偏に 皆様お客様のお陰でございます
現在は周三日の営業ですが 今年中には周四日・五日と
営業日数を増やして行きたいと思って居ります
相変わらず使い勝手の悪い御店ではございますが 何卒
御理解 御容赦の程 宜しくお願い申し上げます
BIRTHDAYケーキ …
デコレーションでは無かったのですが
どれを口にしても外れは無く
噂に違わぬ美味しさでございました
来月は我が相方の誕生日
既に自身で予約済みなのだそうで …
果たして 私の口に入る予定はあるのかしらと
今からちーと不安なのでございます
本日は … 63回目の HAPPYBIRTHDAY TO ME
なのでございます
昨年は内視鏡の検査にて一日中悶えて居りましたが
本日は何事も無き一日で終えて欲しいものでございます
何事も無き事がHAPPYなのだと 何方かが歌って居られましたが
此れに関しては 全く其の通り と思う今日此の頃なのでございます